INTERVIEW先輩就農者の声
楢葉町栽培農作物 サツマイモ など
暮らすことで変わった
楢葉町へのまなざし
創業75年、大阪に本社を構える食品メーカー「白ハト食品工業(株)」が中核をなす白ハトグループ。茨城県、福島県、宮崎県の自社圃場でサツマイモを生産し、茨城県・宮崎県の工場でサツマイモのスイーツを製造、商品は全国の自社店舗やコンビニ・スーパーで販売しており、おいもに関わる産業を一気通貫で行っています。そんな白ハトグループが2017年から楢葉町でのサツマイモ栽培を開始、2019年には「(株)福島しろはとファーム」を設立しました。福島しろはとファームの今を牽引する長井翔太朗さん(29)、瀧澤芽衣さん(30)にお話を伺いました。
真剣に取り組んできた人がいたからこそ今の町がある
お二人とも県外の出身で楢葉町に縁もゆかりもなかった。原発事故から月日は流れているとはいえ、ここで働く、ここで住むということに抵抗はなかったのでしょうか?
芽衣さん:正直、「移住」と言われたときは「いや〜……、これから子どもも生まれるしなぁ……」と思いました。私たち二人だけならいいんです。むしろ、原発事故被災地だからっていつまでも下を向いているわけにはいかない、誰かが前に進む姿勢を示していかないと何にも変わらないと思っていました。でも子どもができて、ここで子育てをすると考えると、やっぱり放射線のことが気になって。私たちはよくても、子どもの未来はどうなんだろうと。
今ここに住んで子育てをしていますが、そういった不安が全部解消されたという訳ではありません。とはいえ、人はあったかいし、食べものは美味しいし(笑)。私は親として、娘が自分で意志を持って選択ができるようになるまではできる限りの安全対策は取っていくつもりですが、一方で私たちがどういう思いで楢葉に来て何をしているかという姿を娘に見せることもとても大事なんじゃないかと思っています。でもだからといって、彼女の選択を私たちの選択によって狭めたくはないので、そこはちゃんと話を聴きながら寄り添ってあげたいなと思っています。
初めは仕事として福島拠点を任されたという、いわば単なる異動だったわけですが、ここに住んで子育てをしてというのはとてもプライベートな出来事ですよね。仕事としてだけではなく生活者として楢葉町に暮らして、この街への気持ちの変化はありましたか?
2016年ごろかな……、楢葉町に最初に来たときの印象っていうのが正直本当に悪かったんです。人がいないしお店も開いてない、作業服のおじさんしかいない。「子どもはいるの?女性はいるの?」っていうのが最初の印象だったんですよ。「こんなところで生活できない」と思ったのが率直な感想でした。
それが年々、町が本当に変わっていって、今では若いお母さん世代がたくさんいて、子どもたちが普通に街の中を自転車で走りまわっていて……。そういう光景が見えてきたことにすごく感動しました。本当に町の人たちが真剣に取り組んでこなければ、この光景はなかっただろうなと思うんですよ。仕事上、役場の方にいろいろ提案をすることが多いんですが、一般的な行政マンなら「いやいや、何言ってるんですか」ってあしらわれてしまうようなアイディアでも一つひとつ真摯に向き合って、なんとか実現させるために尽力してくださる方がすごく多いです。
まだ実行はできてないんですけど、サツマイモの収穫をはじめとした農業体験をきっかけに街を巡ってもらうような取り組みができたらいいねという話しをずっとしていますね。そういう交流人口から移住につなげるみたいな流れが作れたらいいなぁと。
翔太朗さん:住み始めてからだよね、やっぱりそういうことを思うようになったのは。茨城から収穫の手伝いで来ている間は、あくまでも「ここで畑の面積がどれだけあって、今年何トン取れるのか」っていう目線でした。住み始めてからは町の現状についてすごく考えるようになったし、そこに農業っていう切り口でしろはとファームが役に立てるところってなんなのかな……という目線になりました。地元の人たちに、「しろはとが来て楢葉が変わっちゃったなー」ではなく、「しろはとが楢葉に来てくれてよかったな」と思ってもらえるようにしたいですね。
取材日:9月16日
取材・文・写真:成影沙紀